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テニス教室 in 西アフリカ・ベナン共和国 テニスにはじめて触れる人たちへテニスの楽しさを紹介するために、西アフリカ・ベナン共和国に行ってきます!

しの
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最終回~ さよならベ…
04/24 00:48
ゾマホンさん
03/07 22:28
ベナン最後の日
03/02 00:26
ウイダーへ
02/13 01:46
最後のレッスン
01/30 00:43

最終回~ さよならベナン

あわただしくゾマホンさんと別れたあと、いよいよ出発の時間が迫ってきた。

アジャホのパソコンに、今回の滞在で撮った写真を転送する。
その多さにびっくりするとともに、4日間の思い出が次々とよみがえる。

歳を取ると涙腺が緩むというけれど、1万4千キロという距離は再会を誓うにはあまりにも遠すぎる。
何か話すと、そして目が合ったら泣いてしまいそうで、ずっとうつむき加減で交わす言葉も少なくなる。


とうとう搭乗開始の時間になる。

皆が一斉に立ち上がる。

お世話になった皆さんにお土産を渡そうと紙袋を持って顔を上げる。
笑顔のソトウさんの顔を見たとたん、涙があふれ出す。

どこかで冷静な自分もいて「いいオッサンがこんな事でウルウルして情けない!」
と自分を嘲笑しているのだけれど、とにかく言葉に詰まって何も伝えられない。
お土産も一人ひとりに渡したかったのだけど、できそうにない。

「・・・これは皆さんへのプレゼントです。申し訳ないけれど後で皆さんで分けて欲しい」
それだけしか言えず、ソトウさんと固く抱き合う。
そしてアジャホやベナンのスタッフの方々と次々と別れの挨拶が交わされる間も、
僕は一言も話すことができず、ただただ抱き合う。


ほかのみんながセキュリティーゲートを通過するのに遅れてゲートを通過する。
真っ赤な目の情けない顔を見られたくなかったからだけど、たぶんみんな気づいてると思う・・・。

振り返るとスタッフの皆さんが大きく大きく手を振ってくれている。
こちらもなんとか笑顔で手を振りかえす。

ここに来て、さっきはろくにお礼を言っていなかったことに気づく。
大きな声で、フランス語で、英語で、フォン語で「ありがとう」を叫ぶ。

4日前に到着したときには不安な気持ちで降りた飛行機のタラップを、
今夜は万感の想いで一歩ずつ上がる。

最後に待合室に向かって大きく手を振る。
さよならベナン。


飛行機はほどなく地上滑走を開始する。

職業柄?離陸する方向は分かったので、離陸する頃にきっと待合室やいつも見ていた
砂まみれの旅客機が見えると思い、左側の窓をずっと見続ける。

離陸滑走が始まり景色がどんどん流れていく中、待合室が目に飛び込む。
続けて機体が浮揚した次の瞬間、黄色がかった明かりの中に
毎日ホテルを出ると車の中から見てきた、その旅客機も見ることができた。

すーっと体から力が抜けるような不思議な感覚におそわれる。
ベナンで体験した色々な出来事を思い出しながら、眠りにつく。


目を覚ますとまだ空は暗いものの到着までにはあと少しらしい。
そしてパリでは雪が降っているとのこと。
エールフランスの寒い機内にいると、あのベナンの熱気がまるでうそのようだ。

まるでベナンでの出来事が夢だったようにさえ錯覚する。
あらためてこの旅が終わったことを実感する。

思い出すのはベナンの人たち子供たちの笑顔笑顔笑顔!

もしこの活動でテニスが少しでも普及してくれたとしたら。
そしてその便りを聞くことができたなら、
必ずまた皆さんに会いに行きます。

ありがとう!



おわり
日記 | 投稿者 しの 00:48 | コメント(2)| トラックバック(0)

ゾマホンさん

いよいよベナンを離れるためにホテルを出て空港に向かう
・・・はずだったのだが、ドライバーのコフィーやケビンがいない。
まあいつものことなのだけど、遊びに行ってたりナンパしてたりして、
ちょっと困るんだけどなぜか憎めない。
少し待っているとようやく帰ってきて、お世話になったホテルを出発する。

空港に到着して今度こそチェックインできると思っていたのだが、
一般の乗客のチェックインが終わる夜10時まで待てとのこと・・・。
仕方ないので一人カウンター脇でずっと待つことにした。

カウンターの職員に時々視線を送ってプレッシャーをかけてみるものの、
やはり早めにチェックインはしてくれない。

しばらくしてセキュリティーの外をみるとNさんが僕を呼んでいる。
セキュリティーエリアを仕切る扉を少し開けてもらって話を聞くと、
ゾマホンさんがいて我々のグループと話をしているとの事。
残念ながらチェックイン優先なので、ここを離れることができないと言うと、
わざわざ全員が揃うまで待ってくれて、あとで記念撮影をしてもらえるとの事。

日本ではゾマホンさんとはうまく連絡が取れず、ベナン出発までにお会いすることができなかったのだが、
こうしてベナンでお会いすることができるとは思ってもみなかった。

心配だったチェックインも無事終わり、行きと同じく皆と一緒に帰ることができる!と握手する。
いつも心配させてすみません・・・。

我々が待機させていただいている特別待合室でゾマホンさんと会い握手をする。
彼は日本からのテレビの取材スタッフを迎えるために、空港に来ているそうだ。

とにかく忙しそうに動き回っていたが、僕がチェックインをしている時に、
我々との話し合いの時間を作ってくれたそうだ。
そして「命がけでよく来たねー!」と言ってくれたらしい。

記念写真を撮ってあわただしくゾマホンさんとお別れする。

いよいよ飛行機の出発時間が近づいてくる。


続く
日記 | 投稿者 しの 22:28 | コメント(0)| トラックバック(0)

ベナン最後の日

朝起きて身支度をしながら、今日がベナン滞在の最後の日だという実感がわいてくる。

仕事柄毎日いろいろな所に行っているせいか、人との別れといっても
いつか必ず-そしていつでも会えるだろうという安心感みたいなものがあるのだけれど、
さすがにベナンは遠く、そして知り合った人たちとも再び会うことは難しいだろう。
そんな事を考えるにつれて寂しさがおそってくる。

今日は夕方の飛行機のチェックインまで時間があるので、お土産を買いに連れて行ってもらう。

案内されたのは、民芸品を売るお店が集まったちょっとしたマーケットで、
案内してくれた人たちも意外と来たことがないらしく、色々と買い物をしている。
みんなネックレスやキーホルダーなどを買う。
値段の交渉もソトウさんやアジャホがやってくれるので助かる!

買い物が終わって、念のために早めに空港に行ってチェックインを済ませることにする。

日本で調べた時には、まだ帰りの便は空席が充分あったので、
行きみたいなことにはならないだろうと油断していたのだが、
なんと、帰りも僕だけチェックインできなかった・・・。

いろいろ話してみても「一般のチェックインを出発の1時間前に締め切るので、
それが終わってから受け付ける」の一点張り。
またあの不安な時間を過ごすことになろうとは・・・。

行きの時よりは任務?を達成したこともあって少し気は楽なのだが、
帰りにここで一人ぼっちにされても、それはそれで不安でたまらない。

最後の最後まで色々あるなー。

ひとまずホテルに帰り最後の荷物の整理と少し早い夕食をとる。
大量に持ってきたラケットやボールはすっかりなくなって、自分たちの荷物だけになったのも少し寂しい。

夕食を待っている間、サッカーのベナンユース代表の試合が、
昨日テニス教室をしたスポーツ施設の中にあるサッカー場で行われていて、
そのテレビ中継をベナンのスタッフたちと一緒に観る。
ここまで一緒にいてすごーくおとなしかった人たちまで、熱狂して観戦している。

結果は後半ロスタイムに奇跡的に追いついて同点にしたものの、
PK戦で負けてしまった。

食事が終わると、我々を取材をしてくれたGolfeTVが撮影したビデオを持ってきてくれた。
取材のときに一応「ビデオが出来たらちょうだい!」とお願いしていたのだが、
まず無理だろうなーと思っていたので嬉しかった!

でも記録されているのが今や日本ではほとんど見られなくなったVIDEO CDというのがシブすぎる。
それを見ながら皆でこれまでのことを語り合う。

そしてソトウさんがそのVIDEO CDの「即席贈呈セレモニー」をしてくれる。
「元気に家族のもとに帰ってください。サヨナラは言いません。今日でひとまずお別れですが、
ここからが私たちの関係の始まりです。」
そんなソトウさんの暖かいスピーチにジーンとした。

いよいよホテルを出発して深夜出発の飛行機に乗るために空港に向かう。


続く
日記 | 投稿者 しの 00:26 | コメント(0)| トラックバック(0)

ウイダーへ

食事が終わって、いよいよ観光へ向かう。
向かう場所はウイダーと言って奴隷貿易の行われた場所だ。

まずはブードゥー教の発祥の地と言われる寺を訪れる。
ブードゥー教というと呪いなどを連想するように、少しおどろどろしいイメージがあり、
実際にガイドをしてくれた若者は両頬に筋状の大きな傷があった。
聞いてみると、信者は赤ちゃんのときにナイフで傷を入れるとの事。
なんだか恐ろしい・・・。
でもベナンは基本的にこのブードゥー教の信者が一番多いらしい。

寺の中ではニシキヘビがたくさんいて、たぶんヘビ嫌いの人は耐えられない光景だと思う。
お約束というか、そのヘビを首に巻いて記念写真を撮る。

次に奴隷街道をたどって海に向かう。
ガイドの若者がこの奴隷貿易の悲惨さを我々に伝えてくれる。
アジャホが英語に訳してくれて、それでも分からないときはムッシュIに教えてもらう。

奴隷は最初は犯罪を犯した人だったが、途中からはいわゆる「拉致」と同じで、
普通に生活をしていた人が突然襲われ奴隷となり海外へ輸出されていった。
その数は5000万人にものぼり、およそ300年も続いたそうだ。

奴隷街道の途中には、その木の周りを7回まわれば自分の事や家族のこと、
そして怒りまでも忘れてしまうと言われた菩提樹がひっそり立っていた。

さらに進むと「帰らずの門」に到着した。
奴隷たちはこの門をくぐったのち船に乗せられアメリカなどの国に奴隷として送られ、
重労働をさせられていた。

当然、身動きも出来ないような船の中で亡くなってしまう人もいれば、
将来を悲観して船から自ら身を投げる人もいたという。
あまりに悲惨な話に一同言葉も出なかった。

門の先には高い波が押し寄せるきれいな砂浜があった。
写真を撮ってウイダーをあとにする。

海岸線に沿って車は爆走する。途中で牛の群れに遭遇するがお構いなしで、
牛に軽くぶつかり(ぶつけ)ながらどんどん進む。
ラジオからベナンミュージックが流れてくる。聞いたことのある歌だから、
言葉はデタラメだけど歌う。
ドライバーのコフィーも一緒に歌う。
コフィーはボブサップのようなイカつい風貌だが、とてもいい奴だ。

この海岸線は本当にきれいで、きっとリゾートにすれば素晴らしい観光地になると思うが、
漁師家族たちが地引網をしているような、このままの海岸でいてほしいいと思った。


ホテルに着いてクーラーの効かない部屋の人たちが直ったかどうか聞いてみると、まだとのこと・・・。
さすがに我慢できるわけもなく、最後の一晩だが部屋を変えてもらう事にする。

夕食は「お疲れさま会」になった。
食事が済んでも話は尽きず、ベナンのこと、テニスのこと、帰りに立ち寄るパリのこと、
そしてテニスクラブの将来についてなどなど、皆で熱く語り合う。
結局1時過ぎまでそうしていた。


あすはいよいよベナンを発つ。
だんだんと寂しさがわいてきた。


続く
日記 | 投稿者 しの 01:46 | コメント(0)| トラックバック(0)

最後のレッスン

ベナンに日記の更新をかなりサボっておりました。
ぼちぼち再開します。


今日は休日のせいか車やバイクの量が少なくて、
コトヌーの町もいつものスモッグ状態よりは少し空気が澄んでいるようだ。

午前中のこのレッスンが、ベナンでの最後のテニスレッスンになる。
到着してみると、立派なサッカースタジアムがある総合運動場のようなところだ。

コートのある施設に入っていくと、今までは見慣れないきれいなコートで富裕層の人たちが
きれいなラケットとボールでテニスを楽しんでいる。

どんどん奥に進んでいくと、四方をコンクリートの高い壁に囲まれた2面のテニスコートが現れた。
そこには100名は優に超える子供たちがいた。

「これはまた大変なレッスンになるな」と思っていたら、
コーチらしき人数名の掛け声で準備運動が始まった。

その準備運動がとても統制がとれていて・・・というか、かなーりハードな内容で、
今では日本ではやらなくなった「アヒル足」←ウサギ跳びみたいなもの
なんかもやっている。

途中からHコーチと僕がその準備運動の輪に入ってみる。
するといつもの「ヨボ、ヨボ!(白人?西洋人?の意味らしい)」の声がかかる。
現地語で「ヨボじゃなくて日本人で、名前は***!」と言うと、
みんな名前で呼んでくれた。

準備運動が終わって、Hコーチとデモストレーションをする。
僕たちの十八番の「2球同時ラリー(伝わるかな?)」は、日本のテニス教室でやるよりはウケた。よかった。

そのあとのレッスンは、2面を4ヶ所に分けて行った。
スタッフもみんなすっかり慣れてきていて、要領よくレッスンは進む。
このあたりは皆さん本当にすごいなと思う。

無事にレッスンが終わってコートをあとにするとき、クラブハウスのスタッフにジュースをご馳走になる。


すべてのレッスンが終わった報告に、省庁の施設を再び訪れる。
そしてここではるばる日本から持参した残りのラケットやボール、
ネットやテニス雑誌などを贈呈することになった。

大きな部屋には歴代のベナンの要人の写真がずらーっと飾ってあり、
GolfeTVのスタッフもまた来ている。
今回の放送も放映するのかと聞いてみると、放映は月曜日との事で、
残念ながらベナンを離れたあとになってしまう。

テニス用具の贈呈式や記者会見はムッシュIが完璧にこなしてくれた。
政府の方々もボールの1球1球までしっかり数えて受け取ってくれた。
これらがベナンのテニスの発展に役立てばと思う。

昼食は「Maman Benin」というレストランで食べる。
今まで現地っぽい食べ物をレッスンのために控えていたが、それも終了したので、
みんな思い切って怪しい?ものをオーダーする。

すでに調理済みのものを指差してオーダーして、あとはつけあわせを加えて出来上がりのはずなのに、
やっぱり出てくるまでにとても時間がかかる。
でもみんなすっかりアフリカ時間に慣れているので、誰も気にしなくなっていた。
・・・というか笑い飛ばせるようになっていた。

午後からはベナンのスタッフの人たちが、僕たちを観光に連れて行ってくれるとのことで、とても楽しみだ!


続く
日記 | 投稿者 しの 00:43 | コメント(0)| トラックバック(0)

宴とTV

テニス教室が終わり、前よりも砂に埋もれたように見える旅客機を右手に見ながらホテルへと帰る。
今日はこれからこのホテルで、ベナンの省庁の方が開いてくれるパーティーがある。

身支度を済ませて皆で時間通りに下のレストランに行くと、まだ皆さん集まっていなかった。
「またあとで来まーす」と言っていったん部屋に戻る。
しばらくして降りてみると・・・やはりまだ集まっていないそうで、また引き返す。

我々のパーティーはホテルの小さなレストランで行われるが、
その隣で盛大にパーティーをやっている団体がいた。
なんとなく不思議な感じの団体だったので聞いてみると、
小声で「ブードゥー教のパーティーだから、関わらないように!」
とのこと。

部屋に戻って皆と話をしていると、誰かがドンドン!とドアをたたく。
「みんな集まったのかな」なんて話をしていると、ソトウさんが飛び込んできた。
そして「ゴルフTV、ゴルフTV!」と叫んでいる。
「なんでゴルフのテレビなんて見るんだろう?」と思っていると、
ソトウさんがテレビのチャンネルをすばやく変える。
すると、ムッシュIがアップになっているではないか!
昨日の会見の模様が地元テレビ局の「Golfe TV」で放映されていたのであった。
時間にして1~2分だったと思うが、字幕つきでしっかり放映されていた。
放送が終わると皆で拍手をして、教えてくれたソトウさんと握手を交わす。大盛り上がり!

そうこうしているうちに宴の準備が整い、皆でレストランへと向かう。
レストランにはベナンの料理が並べられていた。
中でも目をひいたのは「フライドバナナ」。
見た目は「なぜ揚げるの・・・」と言う感じだが、サツマイモのような味でおいしかった。

いわゆる「お偉いさん」とは、僕のたどたどしい英語でなんとかコミュニケーションした。
ベナンのスポーツNo1はやはりサッカーで、ワールドカップ予選にも出ているそうだ。

部屋にはビデオで音楽が流れていたので、お願いをしてベナンの音楽を流してもらう。
リズムは違うのだけど、レゲエみたいな音楽だった。

最後のデザートにカットフルーツの盛り合わせが出てきた。
今まではテニス教室第一で、お腹をこわして開催できなくなることがないように、みんな生ものは控えていた。
でもテニス教室も残すところあと1ヶ所となり、こちらの環境にも慣れてきたので、頂くことにする。
そしてこれがおいしい!!

楽しい宴も終わり、こちらからのプレゼントのポロシャツを贈呈し、全員で写真を撮って握手をして別れる。
現地語で「ありがとう」と言ってみる。
お酒の力か、すぐにリアクションが返ってきてくれた。

部屋に戻ると蚊がいた!
もしかするとマラリアを運んでくる蚊かもしれないので必死に捜すが、見つからなかった。
少し不安だったがそのまま床につく。

明日はいよいよテニス教室の最終日。
コトヌーにあるテニスクラブに行くそうだ。
こちらでのテニス教室にも慣れてきたせいか、不安よりも楽しみな気持ちで眠りについた。


続く
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テニスのバトン 2

小学校をあとにして、次はJICAの事務所を訪問する。

ここでは久しぶりに自分たち以外の日本人と会うことができ、
いろいろな話を久しぶりの通訳なしですることができた。
逆に帯同してくれているベナン人スタッフには話が分からず申し訳ないので、簡単に内容を伝える。
でも通訳のアジャホは「いつもは僕たちの会話が分からないだろうから、気にしなくていいよ」
と言ってくれる。いい奴だ。

JICAの活動はとても地道で、成果が大きく形になることは少ないが、
確実に現地に貢献しているとても尊い活動だ。
そして驚いたのが、このような活動をする約7割が女性であることだ。
JICAのスタッフの方は冗談交じりで「2年間の活動で女性は太るけど、男性は痩せこけます」
と言っていた。

昼食はきれいなレストランで食べた。本当は午後から訪問を予定していた
ベナン人タレントのゾマホンさんが作った日本語学校にアポイントが取れなかったので、
かわりに午前中に訪問した小学校に行って、コーチへのレッスンをすることにする。

昼食を待ちながらHコーチがレッスンプランや子供の成長に合わせた指導法について、
Iさんの翻訳で英語で書きとめ、それをアジャホにフランス語に翻訳してもらうことにする。

・・・しかしやはり食事がなかなか出てこない。
「あと5分」と言ってから30分以上たってやっと出てきた。
ここでは現地のジュースも試してみる。

コーラとチョコかコーヒーが混ざったような味の「モカ」
ごく普通の柑橘系ジュースの「フィジー」
これまた普通の炭酸水の「ブルビット」
をそれぞれ頼む。

食事が終わって先ほどの小学校に戻り、木陰でHコーチによる座学?をする。

校舎から椅子が運ばれてきて皆でそれに座り、先ほど仕上げたプリントを見ながら話し合う。
ほかのメンバーも言っていたが、ベナンの家具はなぜだかすべてが「重い」。ここの椅子もそうだった。
おそらく大量生産品ではない手作りのため、材料が贅沢に使われているからだと思う。

話が終わってオンコートで講習をする。
Hコーチと僕が交互で各ショットについての指導法を伝える。
クリスチャンとジャンの二人の若いコーチはとても真剣に受けてくれた。

ひと通り終わって、最後にみんなでチャンピオンゲームをする。
この頃には授業の終わった子供たちがコートの周りに集まってきて、ゲームを見ながら歓声を上げている。
試合となると若さにはかなわず、僕たちが39歳コンビが押されに押される。
まともに対抗戦にしていたら負けてたかも!

すべてが終わって僕が言う。
「やっぱり39歳組は辛かったよ!」
そしてHコーチが言う。
「これで確かにテニスのバトンは君たちに渡した。ぜひベナンでテニスが発展するように、
これからも子供たちにテニスを教え続けて欲しい。」

帰りの車に乗り込もうとすると、子供たちが駆け寄ってきてなかなか出発できなくなる。
僕たちも名残惜しくて、窓を全開にして大きく手を振る。
どこからか「サヨナラ!」の声が聞こえた。きっとすぐに覚えて言ってくれたんだろう。
僕も「サヨナラ」と一緒に「ありがとう、おやすみなさい!」とフォン語で叫んだ。
・・・つもりだったが間違えて「よくできました、おやすみなさい」と叫んでいた・・・。
きっと子どもたちは「何のこと?」と思っただろう。

この訪問でベナンのコーチに会えたことはとても良かった。
ゲームでは押されまくったけど、テニスを伝えたいというこちらの熱意は彼らに伝わったと思う。
僕たちが渡したバトンを持って、ベナンのテニスの発展のために走ってくれたらと思う。


続く
日記 | 投稿者 しの 01:51 | コメント(0)| トラックバック(0)

テニスのバトン 1

今朝もムッシュIさんのモーニングコールで目覚める。
昨夜も二階部屋の人はクーラーが効かず、ほとんど眠れなかったらしい・・・。

今日はコトヌーの小学校を訪問する。前日のことがあるので皆なんとなく気が重い。

しかし・・・。

到着してみると立派なコートがある。しかもそのコートで子供たちがラリーをしている!
しかも20代の若いコーチが二人いて、テニススクールのように規則正しく練習している。
みな前日とは違う意味で動揺する。

コートに入り校長先生とと挨拶をするとそのコーチから
「ベナンのジュニアチャンピオンがいるので、ラリーしてくれないか」
と言われる。
打ってみるととても上手!同年代の日本の選手と比べてしまうとまだ粗さがあるけど、
強いボールを打つ。そして足元は裸足。

そして次はベナンのコーチがラリーを始める。
二人とも比較的薄いグリップのオーソドックスな打ち方で、
決して自己流で身に着けたものではない事が分かる。
選手で言うとジェームズ・ブレークみたいな感じ(かえって分かりにくいか・・・)。
彼らはボランティアで定期的にこの小学校の子供たちを教えているらしく、
コートは地元の富裕層が無償で作ってくれたものらしい。
こういったチャンスがあれば、身体能力に優れたベナンの子供はすぐにテニスがうまくなるだろう。

さっそくテニス教室を始める。
さすがにテニスに慣れている子たちばかりで、上手にボールを打つ。

待っている子供たちに、簡単なコーディネーショントレーニングをやってみる。
みんな嬉しそうに参加してくれる。日本の子供たちより照れがなく、歓声を上げながら楽しんでいる。

途中で写真を撮ったのだが、みんな撮ってくれ!とうるさい割には、カメラを向けるとまじめな顔になる。
まさか今時写真機に魂を吸い取られるとは思っていないだろうし、
もしかしたら撮られるのが嫌なのかなと撮影をためらったが、それも違う。
どうやら彼らなりにカッコつけているらしい。ひと安心。

レッスンを終え、ベナンのコーチと話しているとHコーチが切り出した。
「子供たちにテニスの楽しさを伝えるのも大事だが、
これから発展させていくためには、コーチを育成することも重要だ。
時間があれば彼ら二人にレッスンの方法を伝える時間が欲しい」

Hコーチは僕と同年代だが、一言で言うと「懐の深いコーチ」だ。
テニスだけでなくヨガや芸術にも造詣が深く、いろいろな引き出しを持っている。
クラブの行事としてのテニス教室でお世話になるが、いつも勉強させてもらっている。

ベナンの二人のコーチとは日程を調整して再び会うことを約束して、
小学校をあとにする。


続く
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テニス教室が大騒ぎ

ポルトノボの町を車で爆走して目的地に到着した。

僕たちはベナンにはテニスコートがほとんどないと聞いていたので、
簡易ネットも用意してきたのだが、到着したそこにはテニスコートがあった。
「良かった!」と安心するのもつかの間、ものすごい数の生徒が目に飛び込んでくる。
朝の打ち合わせの話では100名と聞いていたが、どう見ても200人いる。

とにかくやるしかない、と車を降りて準備をする。
この時点でものすごい歓声が上がる。まだ何もしてないっちゅうねん!
そしておもむろにHコーチとラリーを始める。
1球ごとに大歓声でミスをすると笑い声。「なかなかノリがいいな」とこちらもテンションが上がる。

ひと通りのショットを披露したあと、フォン語で挨拶と名前を言う。
おかげさまで子供はすぐリアクションしてくれた。
そして少し離れた2つのコートに分かれてレッスンを開始する。

・・・ここからが大変だった。

僕は高学年を担当する。おそらく小学校高学年くらいだろうか。
日本でのテニス教室と同じ感覚で「ひとり1個ボールを箱から取って」
と言った瞬間!
ドドドーーッ!とダンボールに向けて子供たちが突進する。
ダンボール近くの子供は倒されて折り重なり、僕も危うく倒れそうになる。
近くで見ていたNさんは「よくあそこから脱出できたね」と唖然としている。

うまく取ることができた子は1個どころか何個もボールを取ってしまう。
しかもこっそり自分のリュックに入れる子もいて、さすがの陽気なソトウさんも怒り狂っていた。

やっぱりやり方が悪かった。最低限のボールとラケットでテニスを体験してもらうことに変更する。

しかしここでまた問題発生!

いろいろ指示を出そうにも、通訳はアジャホひとりだけ・・・。
僕がいくら叫んでも子供たちには伝わらない。
しかもアジャホは隣のコートにいる・・・っていうか隣が遠すぎ!
気が遠くなりそうだったが、身振り手振りでなんとか進める。

手出しのストロークをやってみたが、みんな運動能力が高いので驚く。
空振りする子はいない。ちゃんとバウンドしてから打つことも難なくこなす。

ちゃんと始まってしまえば陽気ないい子ばかりなのだが、ちょっとした時にこっそり話しかけてきて
「僕だけにラケットちょうだい」「ボールちょうだい」ってくるのには、はじめは困ってしまった。
もちろん、ラケットやボールが貴重品なのはよく分かるけど、
僕たちが単なる物をあげるおじさんたちだと思われているのなら、それは悲しいことだ。
そう思われないよう、テニスの楽しさを感じてもらえるよう、言葉は通じないけど楽しくレッスンをする。

隣のコートではHコーチとOさんが手出しストロークをしていた。
御年76歳になるOさんは周りの騒動にも動じず、ひたすら子供たちにボールを出している。
ベナンには年上を敬う文化があるのだろう、
Oさんに対しては子供たちだけでなく大人も一目置いている様子だ。

しかしネットの反対側では打ったボールを拾おうと子供たちが暴走気味になっている。
そしてそれを抑えるためだろうか、いつもの事だろうか、
木の枝やムチみたいなものを持った先生が、生徒を叱っている。日本だったら大問題だ。

そんなこんなで時間になり、レッスンは終了する。
生徒たちはベナン風「前へ習え」をしたあと学校に戻っていく。

肉体的・精神的疲れを感じながら後片付けを済ませ、持って来たラケットとボールの一部を寄付する。
その時、このコートの主みたいなおっちゃんが「俺も手伝いしたからラケットくれ」と言う。
まあ~手伝ってくれたし、と1本渡す。
そして校長先生に5本を渡す。そうしたら、
「5本じゃキリが悪いから6本ちょうだい」と言ってくる・・・。

大人も同じか~!!

・・・一同疲れきってホテルに到着する。
ベナンの人たちはみんな親切で穏やかな人たちなのだが、あのようになるのは
僕たちのレッスン方法に問題があると、夕食のミーティングで反省する。
ラケットやボール、そして飲用水などを目に付くところにたくさん置いていたのはやはり良くなかった。
必要最低限の道具を使って、可能であればコート1面だけでレッスンをしようと作戦を立てる。

入念なミーティングにもかかわらず、いまだに料理は運ばれてこないが、
この頃にはみんなアフリカ時間に順応してきてぜんぜん気にならなくなる。
しぶ~い赤ワインをみんなで飲みながら夜中まで話は弾み、また明日がんばろう!と励ましあう。

レストランを出て部屋に帰るまでの、まだ昼の暑さが残る階段を上りながら、
ふと自分がここにいることが不思議で、夢を見ているような気分になる。
そして急に、日本でベナン大使からテニス教室を依頼されてからここまでの道のりが鮮烈によみがえる。
「本当に来たんだなぁ」と感慨深くなる。

今日は色々あったけど充実した一日だった!
日記 | 投稿者 しの 00:08 | コメント(0)| トラックバック(0)

活動開始

朝はIさんのモーニングコールで起床。

レストラン(といってもごく小さな部屋)で朝食をとる。
パンが2きれとインスタントで自分で作るコーヒーだけのシンプルな食事だけど、パンがおいしい。

今日は午前中に省庁回りをしたあと、午後からいよいよテニス教室が始まる。

日本から持ってきたラケットやボールを車に載せるために、ホテル前でダンボールを置いて待っていると、
ホテルのスタッフが興味深そうに覗き込む。
「やってみる?」と声をかける。
Hコーチと僕で見本を見せたあとボレーボレーを何人かに体験してもらう。
初めての割にはみんな上手だった。暑いのに省庁回りようにスーツだったので、Hコーチも僕も汗だく・・。

終わったら「ボールをくれ」とうるさい・・・。
これからお世話になることもあるし、ボールをプレゼントする。

車に分乗してまずは外務省に向かう。
途中また砂まみれの旅客機のそばを通る。これから毎日見ることになるだろう。

・・・車は相変わらずの爆走で心配になる。
運転手はみな若者で、国の手配した車という意味なのかハザードをつけて、そこのけそこのけで走る。
渋滞していたら、中央分離帯を越えて反対車線を100キロで走る。
バイクなんかは、よけきれなくて転倒したりしている。
実際には衝突していないが・・・。
だ、大丈夫か??

各省庁を回って、挨拶とここに来た経緯やテニスクラブの概要をIさんが英語で説明する。
それを通訳がフランス語にして伝える。
通訳をしてくれるのがソトウさんと並んで僕たちがとてもお世話になる
アジャホというハンサムな好青年だった。
ただ通訳するのではなく、こちらの伝えたいことを熱っぽく語って通訳してくれる。
何ヶ所かを回ってほぼ同じ事をしゃべらなければならなかったのに、一生懸命通訳してくれる。

途中の訪問では地元のGolfe TVの記者会見があった。
打ち合わせもなくインタビュアーが問いかける質問に、Iさんはスラスラと答えていく。
そしてその内容も素晴らしく、他のメンバーは驚きを通り越してあっけにとられる。
彼はすでに70歳を超えているが、現役時代に仕事で色々な国を経験し、国際会議などにも
出席した経験があるそうで、「(あんなに流暢にコメントが出るのは)場数ですよ」と
さらりと言ってのけた。
これ以降、Iさんは「ムッシュI」と呼ばれるようになる。

この取材はいつ放送されるのかを聞き忘れてしまった・・・。

ベナン一の大都会のコトヌーから、首都のポルトノボに移動する。
ポルトノボは、コトヌーのような交通渋滞や大気汚染はなく、最後に訪問した教育省のような施設も、
まるでちょっとしたリゾート地のようだった。

そこでの挨拶のあと、すぐ隣のレストランで食事を取る。
英語が通じないので身振り手振りで、飲み物は実際にキッチンに見に行って注文する。
しかし待てども待てども出てこない。「まあこんなもんか」と思ったが、
結局オーダーしてから出てくるまで1時間かかった。
本当はベナン独特の料理を食べたいのだけれど、テニス教室を遂行しなければならないので、
みんな無難なものを注文する。

時間がなくなったので大急ぎで着替えて、いよいよテニス教室を開催するために
ポルトノボのスポーツ施設に向かう。

しかし、このあと思いもよらない事態に遭遇することになる・・・。


続く
日記 | 投稿者 しの 01:35 | コメント(0)| トラックバック(0)

ベナン到着

飛行機が到着して、僕たちが一番心配だったこと・・・。
それは、到着しても誰も迎えに来てくれていないのでは・・ということだった。

実は結局日本を発つまで、ベナンでのスケジュールがまったく分からないままだった。
大使館に何度か問い合わせても「ノ~~プロブレム!」の返事ばかりだった。

でもその心配はタラップを降りたところで杞憂に終わった。

Iさんの名前が書かれたプラカードを持った男性が目に飛び込んできた。
みんなホッとする。
もうすっかり夜なので暑くはないが、熱帯地方特有のむっとした熱気があたりを包む。
男性が搭乗者の列から離れて車に乗れという。その車で待合室のようなところに案内された。

待合室には数人のおそらくベナンの省庁の職員の方々がお迎えに来てくださっていた。
皆さんと握手をし荷物の到着を待つ。さっそく飛行機で勉強した現地語を使ってみる。
ところがリアクションがない・・・、一瞬の沈黙・・・そしてやっと、
なぜか腹をかかえて笑いながら応えてくれる。
あとで分かったことだが、僕の発音が悪い上に国の職員の彼らはほとんどフランス語で会話するので、
日本人が急に現地語を話すことに対応できなかったそうだ。
このあと会うベナンの人はみんなこんなリアクションで、そのあと決まって
「ここで嫁さんをもらったら?」「このまま住んじゃいなよ!」と言う・・・。
結局たった数語しか覚えられなかったけど、コミュニケーションにはとても役に立った。

かなーり待った後ようやく荷物が来て、車に分乗して15分ほどのところにあるホテルに向かう。
途中は砂浜のようなところを車の底をガリガリ摺りながら爆走する。
空港の横を通ったとき、今は日本で見られなくなった大型の旅客機が目に入った。
よく見ると砂をかぶっているし、もう飛び上がれる様子ではなく、
まるで風防のように滑走路わきに駐機していた。

ホテルに到着して、ロビーで明日からのスケジュールの説明を受ける。
説明してくれるのは僕たちがこれから一番お世話になるソトウさん。
彼はJICAで日本に来たことがあり、多少の日本語を話すことができる。
明日は午前中に各省庁を表敬訪問したあと、午後からいよいよテニス教室のようである。

部屋のキーをもらい荷解きをした後、Iさんの部屋に集まって明日からに向けてのミーティングをする。

そのあとそれぞれの部屋に戻り寝る準備をする。
とにかくマラリアには気をつけろということで、マラリアの媒介となる蚊がいないか部屋を見渡す。
ホテルによっては昔なつかしの「蚊帳」があるとの事だったが、このホテルにはない。
でもとりあえず蚊はいないようなので安心する。
電池でファンが回る蚊取り線香のようなものを持ってきたので、それを枕元において寝ることにする。

部屋は個室で、シャワーはちょろちょろしか出ないが3分待てばお湯が出るし、クーラーも効く。
うーん快適快適!と思っていたらいきなり停電する。
大丈夫かぁーと思ったらすぐに回復する。その後も明かりが暗くなったり微妙ではあったが、
なんとか停電にならず、クーラーも効いたまま眠ることができそうだ。


続く
日記 | 投稿者 しの 00:42 | コメント(0)| トラックバック(0)

パリからベナンへ

時差のせいでプラス8時間長い一日の終えて爆睡したはずなのに、
なぜかみんな早起きで時間より早く朝食を済ませる。
さすがフランス!という先入観かパンがとてもおいしい。
チェックアウトを済ませてバスを待っていると、気のいいインド人のホテルマンが、
空港までミニバンで送ってくれた。ありがとう!

今回の旅で僕のだけ「予約なし」の格安チケットだった。
そのため、早めに空港に行って可能であればチェックインを済ませたかった。
しかし・・・
カウンターの女性は「すべての乗客の手続きが終わってから、席があれば受け付ける」
「荷物の重さがオーバーしてるから今は預けられない」
の一点張りで、まるで取り合ってくれなかった。
もちろん空席があれば乗れるというリスクがあるからこその格安チケットなので、
「おっしゃるとおり」なのだが、ベナン大使からの招待状などを見せて、
なんとか乗せてもらえるようちょっとお願いしてみるが、答えは変わらなかった。
とたんに絶望感に包まれて途方にくれてしまう。

空港のカフェで休みながら、一般客の手続きが終わるのを待つ。
ほかのメンバーはすでに手続きを済ませ、ベナンでのテニス教室について話し合っていて、
僕も参加しているつもりだが、心はベナンのテニス教室まで話が進まない。
そのことを話すと一同苦笑い・・・。
なにしろこの飛行機を逃したら、次に飛ぶのは明後日・・・。
もうテニス教室のメインの活動は終わっている・・・。

手続き終了の時間が近づいてきたので、カウンターの前に移動する。
メンバーも搭乗口まで行かず、一緒に見守ってくれている。
見渡すと同じような予約なしチケットを持っている人をチラホラ見かける。
「奴らがライバルかー」心臓バクバク。

「コトヌー!(ベナンの空港)」エールフランス社員が声をあげる。
遅れてはならぬ!とダッシュでかけよる。
チラッと僕の顔を見てチケットを1枚手渡される。
それを見るとシートの番号が書いてある!良かった!!
振り返ってメンバーにOKサインを送る。みんな拍手してくれている。
すぐに荷物を預けてメンバーと握手!緊張で思いっきり手が冷たくなっていた。

なんとか飛行機に乗ることができ喜び勇んで飛行機に向かうが、
ここからすでに「アフリカ時間」が始まっていた。
搭乗口からとにかく進まない。なんだろうと見てみると、
とにかくみんなありえないくらいの数と大きさの手荷物を持っている。
なので、職員がそういう人をつかまえて貨物室に預けさせるために、書類をいちいち書いている。
これじゃあ進まない・・・。
やっと飛行機に乗っても、荷物の置くところが無いといって、全然関係ないところに置きまくる。
また、みんな携帯を切るどころかずっと座席で話している。
日本でやったら降機させられるぞー!

しかし、この飛行機に乗っている黒人の皆さんはものすごい金持ちだと思う。
服はもちろんスーツケースまでブランド品や革製品で占められている。
ヴィトンのマフラーなんて生まれて初めて見た(僕だけ?)。
でも庶民の生活は苦しいと聞くので、貧富の差が激しいことが容易に理解できた。

それでもなんとか1時間遅れくらいで出発して一路真南に針路をとってベナンに向かう。

サハラ砂漠を越えたあたりで僕の前方の座席で何やら騒ぎが起こっている。
人がわらわらと集まってくる。でも何かを見ているだけでリアクションもない。
・・・っていうかシートベルト着用のサインが思いっきり点灯してて、
めっちゃ揺れてるんですけど皆さん・・・。

しばらくして揺れも収まったころにアナウンスがあり「急病人が発生したので医者はいないか」とのこと。
サハラを越えてるから引き返すことは無いだろうけど、どこか違うところに降りるのかな?
と病人には失礼だが不安がよぎる・・・せっかく乗れたのに。

結局よくわからないまま騒ぎも収まり、
でもって病人がどうなったかも良く分からないままコトヌーに到着した。

続く



やっぱりなかなか話が進みません。
記録を残すために一つ一つの出来事を拾っているのでお許し下さい・・・。
日記 | 投稿者 しの 20:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

出発 ~ 長い一日

まだ夜が明けない朝6時、
前日までいろいろ忙しかったせいで終わらなかった荷造りを、それでも淡々と進めていた。
でもそれが終わって、最後にスーツケースのロックを閉める「バチン」という音が部屋に響いたとき、
急に気持ちが高揚するのと同時に不安にもなった。

娘に頬ずりをして妻に見送られて家を発つ。
駅まで向かう道すがら、知り合いに会い「がんばってね」と握手される。

空港までは順調な道のりで、空港バスも渋滞も無くスイスイ進む。
しか~し・・・
空港に着いてあらかじめ送っておいたラケットやボールの入ったダンボールを取りに行くと、
「ここにはありません。第1ターミナルです。」と言われる。
発送する際にいやな予感はしていたので、仕方なく循環バスで重い荷物を取りに行く。

パリまではみんな別々の航空会社で行くことになっていて、僕だけ第2ターミナルだった。
「ダンボールをひとつだけ2タミにお願いします」と念を押したのだが、やっぱりダメだった。
・・・でもこれから先、空港でもっと大変な目に何度も遭うことになるとは、その時は考えもしなかった・・・。

チェックインを無事済ませ(結局このチェックインだけ無事でした・・)、飛行機に乗り込む。
機内で知り合いに会ったが、僕がアフリカに行くと言うと驚いていた。そりゃあそうだ。
パリ行きの飛行機に乗っている自分でさえ、ベナンに行くことが今でも時々信じられない。

12時間以上ある機内では少しベナンの現地語「フォン語」を勉強する。

日が暮れることなくパリに到着し、1時間後にNさん、2時間後にIさん・Oさん・Hコーチと合流する。
皆で持ち寄ったラケットやボールのダンボールは空港に預けることにする。
でもその預ける場所を探すのに四苦八苦し、ホテルのシャトルバスを探すのにも時間がかかり、
ホテルに着くころにはすっかり夜になっていた。

このまま寝てしまっても良かったのだが、せっかくだからと言うことで、ホテルのバーで軽食を取る。
さすがフランス!水もビールもワインもほとんど同じ値段だった。

空港近くのホリデイインはダブルベッド2部屋だった。
5人で寝るには一組だけ男同士の添い寝・・になるので、エキストラベッドを用意してもらう。
エキストラベッド決めじゃんけんをNさん・Hコーチと僕でする。
時差ボケとワインで妙にハイな3人はじゃんけん一つで大盛り上がり&絶叫する。
・・・で負けたのは自分。
でもエキストラの割には、ふっかふかのいい(エキストラ)ベッドだった。

こうして長い(時差のせいで実際に本当に長い)一日は終わり、
たぶんみんな一瞬で眠りについた。

続く



すみません!メモしておいたことを全部書いてたらベナンまで着きませんでした。
これからもこんな感じでゆっくり書かせてください。
日記 | 投稿者 しの 23:20 | コメント(0)| トラックバック(0)

旅行記

テニスクラブへの今回の訪問の報告を済ませ、会計等もひととおり終わりました。
これからぼちぼちと、でも記憶が薄まらないうちに旅行記を書いていきます。
この訪問の性質上どうしてもいわゆる「内輪ネタ」や「ラケット青技術用語」が
出てきてしまいますが、今後の報告などに使用するための材料にするので、
どうかお許し下さい!
日記 | 投稿者 しの 00:16 | コメント(0)| トラックバック(0)

無事帰国しました

今日の夕方、無事に帰国しました。
ベナンの子供たちはエネルギッシュで好奇心旺盛でした!
また旅行記は落ち着いたら書きたいと思います。
すばらしい人たちに恵まれて充実した旅行でした。
ありがとうございました。
日記 | 投稿者 しの 21:08 | コメント(0)| トラックバック(0)

行ってきます!

いよいよベナン出発が近づいてきました。

本来はまったく日記なんて書かないのだけど、今回の渡航では写真の記録用にパソコンも持参するので、
インターネットに繋げられる環境があれば、旅行記みたいなものを書いていければと思います。

今日は100円ショップで現地の子供たちへのお土産に、カラーのペンを買いました。
18本入りで100円なんてスバラシイ!たくさん買いました。

ベナンへは、パリで乗り継いで次の日のエールフランスで行きます。
しかし!!なんと出発前日までエールフランスのパイロットがストライキをしているらしく、
我々の出発(日本からは5人で別の3つの航空会社で行って、パリで現地集合)にも影響がありそう。
まあ・・・同業者としては複雑な心境ですが、現地と連絡が取りづらい中で、
もし予定通り到着できなければきっと大混乱になってしまうので、
無事到着できることを祈るのみです。

最初から困った事だらけのこの旅、いったいどうなるのか!?
でも最後にはきっと「いい旅だった!」と言えることを願って。

行ってきます!飛行機
日記 | 投稿者 しの 21:27 | コメント(0)| トラックバック(0)
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