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テニス教室 in 西アフリカ・ベナン共和国 テニスにはじめて触れる人たちへテニスの楽しさを紹介するために、西アフリカ・ベナン共和国に行ってきます!

しの
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04/24 00:48
ゾマホンさん
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ベナン最後の日
03/02 00:26
ウイダーへ
02/13 01:46
最後のレッスン
01/30 00:43

テニスのバトン 2

小学校をあとにして、次はJICAの事務所を訪問する。

ここでは久しぶりに自分たち以外の日本人と会うことができ、
いろいろな話を久しぶりの通訳なしですることができた。
逆に帯同してくれているベナン人スタッフには話が分からず申し訳ないので、簡単に内容を伝える。
でも通訳のアジャホは「いつもは僕たちの会話が分からないだろうから、気にしなくていいよ」
と言ってくれる。いい奴だ。

JICAの活動はとても地道で、成果が大きく形になることは少ないが、
確実に現地に貢献しているとても尊い活動だ。
そして驚いたのが、このような活動をする約7割が女性であることだ。
JICAのスタッフの方は冗談交じりで「2年間の活動で女性は太るけど、男性は痩せこけます」
と言っていた。

昼食はきれいなレストランで食べた。本当は午後から訪問を予定していた
ベナン人タレントのゾマホンさんが作った日本語学校にアポイントが取れなかったので、
かわりに午前中に訪問した小学校に行って、コーチへのレッスンをすることにする。

昼食を待ちながらHコーチがレッスンプランや子供の成長に合わせた指導法について、
Iさんの翻訳で英語で書きとめ、それをアジャホにフランス語に翻訳してもらうことにする。

・・・しかしやはり食事がなかなか出てこない。
「あと5分」と言ってから30分以上たってやっと出てきた。
ここでは現地のジュースも試してみる。

コーラとチョコかコーヒーが混ざったような味の「モカ」
ごく普通の柑橘系ジュースの「フィジー」
これまた普通の炭酸水の「ブルビット」
をそれぞれ頼む。

食事が終わって先ほどの小学校に戻り、木陰でHコーチによる座学?をする。

校舎から椅子が運ばれてきて皆でそれに座り、先ほど仕上げたプリントを見ながら話し合う。
ほかのメンバーも言っていたが、ベナンの家具はなぜだかすべてが「重い」。ここの椅子もそうだった。
おそらく大量生産品ではない手作りのため、材料が贅沢に使われているからだと思う。

話が終わってオンコートで講習をする。
Hコーチと僕が交互で各ショットについての指導法を伝える。
クリスチャンとジャンの二人の若いコーチはとても真剣に受けてくれた。

ひと通り終わって、最後にみんなでチャンピオンゲームをする。
この頃には授業の終わった子供たちがコートの周りに集まってきて、ゲームを見ながら歓声を上げている。
試合となると若さにはかなわず、僕たちが39歳コンビが押されに押される。
まともに対抗戦にしていたら負けてたかも!

すべてが終わって僕が言う。
「やっぱり39歳組は辛かったよ!」
そしてHコーチが言う。
「これで確かにテニスのバトンは君たちに渡した。ぜひベナンでテニスが発展するように、
これからも子供たちにテニスを教え続けて欲しい。」

帰りの車に乗り込もうとすると、子供たちが駆け寄ってきてなかなか出発できなくなる。
僕たちも名残惜しくて、窓を全開にして大きく手を振る。
どこからか「サヨナラ!」の声が聞こえた。きっとすぐに覚えて言ってくれたんだろう。
僕も「サヨナラ」と一緒に「ありがとう、おやすみなさい!」とフォン語で叫んだ。
・・・つもりだったが間違えて「よくできました、おやすみなさい」と叫んでいた・・・。
きっと子どもたちは「何のこと?」と思っただろう。

この訪問でベナンのコーチに会えたことはとても良かった。
ゲームでは押されまくったけど、テニスを伝えたいというこちらの熱意は彼らに伝わったと思う。
僕たちが渡したバトンを持って、ベナンのテニスの発展のために走ってくれたらと思う。


続く
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テニスのバトン 1

今朝もムッシュIさんのモーニングコールで目覚める。
昨夜も二階部屋の人はクーラーが効かず、ほとんど眠れなかったらしい・・・。

今日はコトヌーの小学校を訪問する。前日のことがあるので皆なんとなく気が重い。

しかし・・・。

到着してみると立派なコートがある。しかもそのコートで子供たちがラリーをしている!
しかも20代の若いコーチが二人いて、テニススクールのように規則正しく練習している。
みな前日とは違う意味で動揺する。

コートに入り校長先生とと挨拶をするとそのコーチから
「ベナンのジュニアチャンピオンがいるので、ラリーしてくれないか」
と言われる。
打ってみるととても上手!同年代の日本の選手と比べてしまうとまだ粗さがあるけど、
強いボールを打つ。そして足元は裸足。

そして次はベナンのコーチがラリーを始める。
二人とも比較的薄いグリップのオーソドックスな打ち方で、
決して自己流で身に着けたものではない事が分かる。
選手で言うとジェームズ・ブレークみたいな感じ(かえって分かりにくいか・・・)。
彼らはボランティアで定期的にこの小学校の子供たちを教えているらしく、
コートは地元の富裕層が無償で作ってくれたものらしい。
こういったチャンスがあれば、身体能力に優れたベナンの子供はすぐにテニスがうまくなるだろう。

さっそくテニス教室を始める。
さすがにテニスに慣れている子たちばかりで、上手にボールを打つ。

待っている子供たちに、簡単なコーディネーショントレーニングをやってみる。
みんな嬉しそうに参加してくれる。日本の子供たちより照れがなく、歓声を上げながら楽しんでいる。

途中で写真を撮ったのだが、みんな撮ってくれ!とうるさい割には、カメラを向けるとまじめな顔になる。
まさか今時写真機に魂を吸い取られるとは思っていないだろうし、
もしかしたら撮られるのが嫌なのかなと撮影をためらったが、それも違う。
どうやら彼らなりにカッコつけているらしい。ひと安心。

レッスンを終え、ベナンのコーチと話しているとHコーチが切り出した。
「子供たちにテニスの楽しさを伝えるのも大事だが、
これから発展させていくためには、コーチを育成することも重要だ。
時間があれば彼ら二人にレッスンの方法を伝える時間が欲しい」

Hコーチは僕と同年代だが、一言で言うと「懐の深いコーチ」だ。
テニスだけでなくヨガや芸術にも造詣が深く、いろいろな引き出しを持っている。
クラブの行事としてのテニス教室でお世話になるが、いつも勉強させてもらっている。

ベナンの二人のコーチとは日程を調整して再び会うことを約束して、
小学校をあとにする。


続く
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テニス教室が大騒ぎ

ポルトノボの町を車で爆走して目的地に到着した。

僕たちはベナンにはテニスコートがほとんどないと聞いていたので、
簡易ネットも用意してきたのだが、到着したそこにはテニスコートがあった。
「良かった!」と安心するのもつかの間、ものすごい数の生徒が目に飛び込んでくる。
朝の打ち合わせの話では100名と聞いていたが、どう見ても200人いる。

とにかくやるしかない、と車を降りて準備をする。
この時点でものすごい歓声が上がる。まだ何もしてないっちゅうねん!
そしておもむろにHコーチとラリーを始める。
1球ごとに大歓声でミスをすると笑い声。「なかなかノリがいいな」とこちらもテンションが上がる。

ひと通りのショットを披露したあと、フォン語で挨拶と名前を言う。
おかげさまで子供はすぐリアクションしてくれた。
そして少し離れた2つのコートに分かれてレッスンを開始する。

・・・ここからが大変だった。

僕は高学年を担当する。おそらく小学校高学年くらいだろうか。
日本でのテニス教室と同じ感覚で「ひとり1個ボールを箱から取って」
と言った瞬間!
ドドドーーッ!とダンボールに向けて子供たちが突進する。
ダンボール近くの子供は倒されて折り重なり、僕も危うく倒れそうになる。
近くで見ていたNさんは「よくあそこから脱出できたね」と唖然としている。

うまく取ることができた子は1個どころか何個もボールを取ってしまう。
しかもこっそり自分のリュックに入れる子もいて、さすがの陽気なソトウさんも怒り狂っていた。

やっぱりやり方が悪かった。最低限のボールとラケットでテニスを体験してもらうことに変更する。

しかしここでまた問題発生!

いろいろ指示を出そうにも、通訳はアジャホひとりだけ・・・。
僕がいくら叫んでも子供たちには伝わらない。
しかもアジャホは隣のコートにいる・・・っていうか隣が遠すぎ!
気が遠くなりそうだったが、身振り手振りでなんとか進める。

手出しのストロークをやってみたが、みんな運動能力が高いので驚く。
空振りする子はいない。ちゃんとバウンドしてから打つことも難なくこなす。

ちゃんと始まってしまえば陽気ないい子ばかりなのだが、ちょっとした時にこっそり話しかけてきて
「僕だけにラケットちょうだい」「ボールちょうだい」ってくるのには、はじめは困ってしまった。
もちろん、ラケットやボールが貴重品なのはよく分かるけど、
僕たちが単なる物をあげるおじさんたちだと思われているのなら、それは悲しいことだ。
そう思われないよう、テニスの楽しさを感じてもらえるよう、言葉は通じないけど楽しくレッスンをする。

隣のコートではHコーチとOさんが手出しストロークをしていた。
御年76歳になるOさんは周りの騒動にも動じず、ひたすら子供たちにボールを出している。
ベナンには年上を敬う文化があるのだろう、
Oさんに対しては子供たちだけでなく大人も一目置いている様子だ。

しかしネットの反対側では打ったボールを拾おうと子供たちが暴走気味になっている。
そしてそれを抑えるためだろうか、いつもの事だろうか、
木の枝やムチみたいなものを持った先生が、生徒を叱っている。日本だったら大問題だ。

そんなこんなで時間になり、レッスンは終了する。
生徒たちはベナン風「前へ習え」をしたあと学校に戻っていく。

肉体的・精神的疲れを感じながら後片付けを済ませ、持って来たラケットとボールの一部を寄付する。
その時、このコートの主みたいなおっちゃんが「俺も手伝いしたからラケットくれ」と言う。
まあ~手伝ってくれたし、と1本渡す。
そして校長先生に5本を渡す。そうしたら、
「5本じゃキリが悪いから6本ちょうだい」と言ってくる・・・。

大人も同じか~!!

・・・一同疲れきってホテルに到着する。
ベナンの人たちはみんな親切で穏やかな人たちなのだが、あのようになるのは
僕たちのレッスン方法に問題があると、夕食のミーティングで反省する。
ラケットやボール、そして飲用水などを目に付くところにたくさん置いていたのはやはり良くなかった。
必要最低限の道具を使って、可能であればコート1面だけでレッスンをしようと作戦を立てる。

入念なミーティングにもかかわらず、いまだに料理は運ばれてこないが、
この頃にはみんなアフリカ時間に順応してきてぜんぜん気にならなくなる。
しぶ~い赤ワインをみんなで飲みながら夜中まで話は弾み、また明日がんばろう!と励ましあう。

レストランを出て部屋に帰るまでの、まだ昼の暑さが残る階段を上りながら、
ふと自分がここにいることが不思議で、夢を見ているような気分になる。
そして急に、日本でベナン大使からテニス教室を依頼されてからここまでの道のりが鮮烈によみがえる。
「本当に来たんだなぁ」と感慨深くなる。

今日は色々あったけど充実した一日だった!
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活動開始

朝はIさんのモーニングコールで起床。

レストラン(といってもごく小さな部屋)で朝食をとる。
パンが2きれとインスタントで自分で作るコーヒーだけのシンプルな食事だけど、パンがおいしい。

今日は午前中に省庁回りをしたあと、午後からいよいよテニス教室が始まる。

日本から持ってきたラケットやボールを車に載せるために、ホテル前でダンボールを置いて待っていると、
ホテルのスタッフが興味深そうに覗き込む。
「やってみる?」と声をかける。
Hコーチと僕で見本を見せたあとボレーボレーを何人かに体験してもらう。
初めての割にはみんな上手だった。暑いのに省庁回りようにスーツだったので、Hコーチも僕も汗だく・・。

終わったら「ボールをくれ」とうるさい・・・。
これからお世話になることもあるし、ボールをプレゼントする。

車に分乗してまずは外務省に向かう。
途中また砂まみれの旅客機のそばを通る。これから毎日見ることになるだろう。

・・・車は相変わらずの爆走で心配になる。
運転手はみな若者で、国の手配した車という意味なのかハザードをつけて、そこのけそこのけで走る。
渋滞していたら、中央分離帯を越えて反対車線を100キロで走る。
バイクなんかは、よけきれなくて転倒したりしている。
実際には衝突していないが・・・。
だ、大丈夫か??

各省庁を回って、挨拶とここに来た経緯やテニスクラブの概要をIさんが英語で説明する。
それを通訳がフランス語にして伝える。
通訳をしてくれるのがソトウさんと並んで僕たちがとてもお世話になる
アジャホというハンサムな好青年だった。
ただ通訳するのではなく、こちらの伝えたいことを熱っぽく語って通訳してくれる。
何ヶ所かを回ってほぼ同じ事をしゃべらなければならなかったのに、一生懸命通訳してくれる。

途中の訪問では地元のGolfe TVの記者会見があった。
打ち合わせもなくインタビュアーが問いかける質問に、Iさんはスラスラと答えていく。
そしてその内容も素晴らしく、他のメンバーは驚きを通り越してあっけにとられる。
彼はすでに70歳を超えているが、現役時代に仕事で色々な国を経験し、国際会議などにも
出席した経験があるそうで、「(あんなに流暢にコメントが出るのは)場数ですよ」と
さらりと言ってのけた。
これ以降、Iさんは「ムッシュI」と呼ばれるようになる。

この取材はいつ放送されるのかを聞き忘れてしまった・・・。

ベナン一の大都会のコトヌーから、首都のポルトノボに移動する。
ポルトノボは、コトヌーのような交通渋滞や大気汚染はなく、最後に訪問した教育省のような施設も、
まるでちょっとしたリゾート地のようだった。

そこでの挨拶のあと、すぐ隣のレストランで食事を取る。
英語が通じないので身振り手振りで、飲み物は実際にキッチンに見に行って注文する。
しかし待てども待てども出てこない。「まあこんなもんか」と思ったが、
結局オーダーしてから出てくるまで1時間かかった。
本当はベナン独特の料理を食べたいのだけれど、テニス教室を遂行しなければならないので、
みんな無難なものを注文する。

時間がなくなったので大急ぎで着替えて、いよいよテニス教室を開催するために
ポルトノボのスポーツ施設に向かう。

しかし、このあと思いもよらない事態に遭遇することになる・・・。


続く
日記 | 投稿者 しの 01:35 | コメント(0)| トラックバック(0)

ベナン到着

飛行機が到着して、僕たちが一番心配だったこと・・・。
それは、到着しても誰も迎えに来てくれていないのでは・・ということだった。

実は結局日本を発つまで、ベナンでのスケジュールがまったく分からないままだった。
大使館に何度か問い合わせても「ノ~~プロブレム!」の返事ばかりだった。

でもその心配はタラップを降りたところで杞憂に終わった。

Iさんの名前が書かれたプラカードを持った男性が目に飛び込んできた。
みんなホッとする。
もうすっかり夜なので暑くはないが、熱帯地方特有のむっとした熱気があたりを包む。
男性が搭乗者の列から離れて車に乗れという。その車で待合室のようなところに案内された。

待合室には数人のおそらくベナンの省庁の職員の方々がお迎えに来てくださっていた。
皆さんと握手をし荷物の到着を待つ。さっそく飛行機で勉強した現地語を使ってみる。
ところがリアクションがない・・・、一瞬の沈黙・・・そしてやっと、
なぜか腹をかかえて笑いながら応えてくれる。
あとで分かったことだが、僕の発音が悪い上に国の職員の彼らはほとんどフランス語で会話するので、
日本人が急に現地語を話すことに対応できなかったそうだ。
このあと会うベナンの人はみんなこんなリアクションで、そのあと決まって
「ここで嫁さんをもらったら?」「このまま住んじゃいなよ!」と言う・・・。
結局たった数語しか覚えられなかったけど、コミュニケーションにはとても役に立った。

かなーり待った後ようやく荷物が来て、車に分乗して15分ほどのところにあるホテルに向かう。
途中は砂浜のようなところを車の底をガリガリ摺りながら爆走する。
空港の横を通ったとき、今は日本で見られなくなった大型の旅客機が目に入った。
よく見ると砂をかぶっているし、もう飛び上がれる様子ではなく、
まるで風防のように滑走路わきに駐機していた。

ホテルに到着して、ロビーで明日からのスケジュールの説明を受ける。
説明してくれるのは僕たちがこれから一番お世話になるソトウさん。
彼はJICAで日本に来たことがあり、多少の日本語を話すことができる。
明日は午前中に各省庁を表敬訪問したあと、午後からいよいよテニス教室のようである。

部屋のキーをもらい荷解きをした後、Iさんの部屋に集まって明日からに向けてのミーティングをする。

そのあとそれぞれの部屋に戻り寝る準備をする。
とにかくマラリアには気をつけろということで、マラリアの媒介となる蚊がいないか部屋を見渡す。
ホテルによっては昔なつかしの「蚊帳」があるとの事だったが、このホテルにはない。
でもとりあえず蚊はいないようなので安心する。
電池でファンが回る蚊取り線香のようなものを持ってきたので、それを枕元において寝ることにする。

部屋は個室で、シャワーはちょろちょろしか出ないが3分待てばお湯が出るし、クーラーも効く。
うーん快適快適!と思っていたらいきなり停電する。
大丈夫かぁーと思ったらすぐに回復する。その後も明かりが暗くなったり微妙ではあったが、
なんとか停電にならず、クーラーも効いたまま眠ることができそうだ。


続く
日記 | 投稿者 しの 00:42 | コメント(0)| トラックバック(0)

パリからベナンへ

時差のせいでプラス8時間長い一日の終えて爆睡したはずなのに、
なぜかみんな早起きで時間より早く朝食を済ませる。
さすがフランス!という先入観かパンがとてもおいしい。
チェックアウトを済ませてバスを待っていると、気のいいインド人のホテルマンが、
空港までミニバンで送ってくれた。ありがとう!

今回の旅で僕のだけ「予約なし」の格安チケットだった。
そのため、早めに空港に行って可能であればチェックインを済ませたかった。
しかし・・・
カウンターの女性は「すべての乗客の手続きが終わってから、席があれば受け付ける」
「荷物の重さがオーバーしてるから今は預けられない」
の一点張りで、まるで取り合ってくれなかった。
もちろん空席があれば乗れるというリスクがあるからこその格安チケットなので、
「おっしゃるとおり」なのだが、ベナン大使からの招待状などを見せて、
なんとか乗せてもらえるようちょっとお願いしてみるが、答えは変わらなかった。
とたんに絶望感に包まれて途方にくれてしまう。

空港のカフェで休みながら、一般客の手続きが終わるのを待つ。
ほかのメンバーはすでに手続きを済ませ、ベナンでのテニス教室について話し合っていて、
僕も参加しているつもりだが、心はベナンのテニス教室まで話が進まない。
そのことを話すと一同苦笑い・・・。
なにしろこの飛行機を逃したら、次に飛ぶのは明後日・・・。
もうテニス教室のメインの活動は終わっている・・・。

手続き終了の時間が近づいてきたので、カウンターの前に移動する。
メンバーも搭乗口まで行かず、一緒に見守ってくれている。
見渡すと同じような予約なしチケットを持っている人をチラホラ見かける。
「奴らがライバルかー」心臓バクバク。

「コトヌー!(ベナンの空港)」エールフランス社員が声をあげる。
遅れてはならぬ!とダッシュでかけよる。
チラッと僕の顔を見てチケットを1枚手渡される。
それを見るとシートの番号が書いてある!良かった!!
振り返ってメンバーにOKサインを送る。みんな拍手してくれている。
すぐに荷物を預けてメンバーと握手!緊張で思いっきり手が冷たくなっていた。

なんとか飛行機に乗ることができ喜び勇んで飛行機に向かうが、
ここからすでに「アフリカ時間」が始まっていた。
搭乗口からとにかく進まない。なんだろうと見てみると、
とにかくみんなありえないくらいの数と大きさの手荷物を持っている。
なので、職員がそういう人をつかまえて貨物室に預けさせるために、書類をいちいち書いている。
これじゃあ進まない・・・。
やっと飛行機に乗っても、荷物の置くところが無いといって、全然関係ないところに置きまくる。
また、みんな携帯を切るどころかずっと座席で話している。
日本でやったら降機させられるぞー!

しかし、この飛行機に乗っている黒人の皆さんはものすごい金持ちだと思う。
服はもちろんスーツケースまでブランド品や革製品で占められている。
ヴィトンのマフラーなんて生まれて初めて見た(僕だけ?)。
でも庶民の生活は苦しいと聞くので、貧富の差が激しいことが容易に理解できた。

それでもなんとか1時間遅れくらいで出発して一路真南に針路をとってベナンに向かう。

サハラ砂漠を越えたあたりで僕の前方の座席で何やら騒ぎが起こっている。
人がわらわらと集まってくる。でも何かを見ているだけでリアクションもない。
・・・っていうかシートベルト着用のサインが思いっきり点灯してて、
めっちゃ揺れてるんですけど皆さん・・・。

しばらくして揺れも収まったころにアナウンスがあり「急病人が発生したので医者はいないか」とのこと。
サハラを越えてるから引き返すことは無いだろうけど、どこか違うところに降りるのかな?
と病人には失礼だが不安がよぎる・・・せっかく乗れたのに。

結局よくわからないまま騒ぎも収まり、
でもって病人がどうなったかも良く分からないままコトヌーに到着した。

続く



やっぱりなかなか話が進みません。
記録を残すために一つ一つの出来事を拾っているのでお許し下さい・・・。
日記 | 投稿者 しの 20:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

出発 ~ 長い一日

まだ夜が明けない朝6時、
前日までいろいろ忙しかったせいで終わらなかった荷造りを、それでも淡々と進めていた。
でもそれが終わって、最後にスーツケースのロックを閉める「バチン」という音が部屋に響いたとき、
急に気持ちが高揚するのと同時に不安にもなった。

娘に頬ずりをして妻に見送られて家を発つ。
駅まで向かう道すがら、知り合いに会い「がんばってね」と握手される。

空港までは順調な道のりで、空港バスも渋滞も無くスイスイ進む。
しか~し・・・
空港に着いてあらかじめ送っておいたラケットやボールの入ったダンボールを取りに行くと、
「ここにはありません。第1ターミナルです。」と言われる。
発送する際にいやな予感はしていたので、仕方なく循環バスで重い荷物を取りに行く。

パリまではみんな別々の航空会社で行くことになっていて、僕だけ第2ターミナルだった。
「ダンボールをひとつだけ2タミにお願いします」と念を押したのだが、やっぱりダメだった。
・・・でもこれから先、空港でもっと大変な目に何度も遭うことになるとは、その時は考えもしなかった・・・。

チェックインを無事済ませ(結局このチェックインだけ無事でした・・)、飛行機に乗り込む。
機内で知り合いに会ったが、僕がアフリカに行くと言うと驚いていた。そりゃあそうだ。
パリ行きの飛行機に乗っている自分でさえ、ベナンに行くことが今でも時々信じられない。

12時間以上ある機内では少しベナンの現地語「フォン語」を勉強する。

日が暮れることなくパリに到着し、1時間後にNさん、2時間後にIさん・Oさん・Hコーチと合流する。
皆で持ち寄ったラケットやボールのダンボールは空港に預けることにする。
でもその預ける場所を探すのに四苦八苦し、ホテルのシャトルバスを探すのにも時間がかかり、
ホテルに着くころにはすっかり夜になっていた。

このまま寝てしまっても良かったのだが、せっかくだからと言うことで、ホテルのバーで軽食を取る。
さすがフランス!水もビールもワインもほとんど同じ値段だった。

空港近くのホリデイインはダブルベッド2部屋だった。
5人で寝るには一組だけ男同士の添い寝・・になるので、エキストラベッドを用意してもらう。
エキストラベッド決めじゃんけんをNさん・Hコーチと僕でする。
時差ボケとワインで妙にハイな3人はじゃんけん一つで大盛り上がり&絶叫する。
・・・で負けたのは自分。
でもエキストラの割には、ふっかふかのいい(エキストラ)ベッドだった。

こうして長い(時差のせいで実際に本当に長い)一日は終わり、
たぶんみんな一瞬で眠りについた。

続く



すみません!メモしておいたことを全部書いてたらベナンまで着きませんでした。
これからもこんな感じでゆっくり書かせてください。
日記 | 投稿者 しの 23:20 | コメント(0)| トラックバック(0)

旅行記

テニスクラブへの今回の訪問の報告を済ませ、会計等もひととおり終わりました。
これからぼちぼちと、でも記憶が薄まらないうちに旅行記を書いていきます。
この訪問の性質上どうしてもいわゆる「内輪ネタ」や「ラケット青技術用語」が
出てきてしまいますが、今後の報告などに使用するための材料にするので、
どうかお許し下さい!
日記 | 投稿者 しの 00:16 | コメント(0)| トラックバック(0)
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